大判例

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津地方裁判所 昭和34年(モ)143号 判決 1961年11月18日

債権者 清水清明 外二名

債務者 設立中の財団法人清水育英会 外一名

主文

本件につき昭和三四年六月一五日当裁判所のなした仮処分決定中、第一第二第三及び第五項はこれを認可し、第四項はこれを取り消す。

「別紙目録記載の株式につき仮りに債権者等が六カ月以前から申請外清水英一と共有株主たることを確定する。債務者等は別紙目録記載の株式につき本案判決確定に至るまでに開催される債務者三桝紡績株式会社の臨時株主総会及び通常株主総会に出席し、債権者等及び申請外清水英一の定める代表者に株主としての権利を行使することを許さなければならない」旨の仮処分申請及び「債務者三桝紡績株式会社は、債権者等に対し別紙目録記載の株式に対する昭和三三年四月二四日以降の配当金のうち、右株式について債権者等の負担すべき相続税相当分を仮りに支払え。債務者三桝紡績株式会社は、債権者等以外の者に右株式に基づいて株主としての権利を行使させてはならない」旨の仮処分申請はいずれもこれを却下する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を債権者等の負担、その余を債務者等の負担とする。

第一項中仮処分決定の取消の部分にかぎり、仮に執行することができる。

事実

第一申立

一、債権者等

「債権者等と債務者等間の、当庁昭和三四年(ヨ)第三四号仮処分申請事件について、当裁判所が同年六月一五日になした仮処分決定を認可する。訴訟費用は債務者等の負担とする。」旨の判決を求め、右仮処分決定の変更ある場合にそなえて「一、債務者三桝紡績株式会社(以下単に債務者会社という)は、債権者等に対し、別紙目録記載の株式一〇四、七六五株(以下単に本件株式という)に対する昭和三三年四月二四日以降の配当金のうち、右株式について債権者等の負担すべき相続税相当分を仮りに支払え。二、債務者会社は、債権者等以外の者に、右株式に基づいて株主としての権利を行使させてはならない」旨の申請趣旨を追加する。

二、債務者等

「債権者等と債務者等間の、当庁昭和三四年(ヨ)第三四号仮処分申請事件について、当裁判所が同年六月一五日になした仮処分決定を取り消す。債権者等の本件仮処分申請を却下する。訴訟費用は債権者等の負担とする。」

との判決を求める。

第二主張

(被保全権利)

一、債権者等

(一) 債権者清水清明、同米倉静栄、同溝口花子、申請外清水英一は、それぞれ、債務者会社の創立者で右会社の代表取締役であつた申請外亡清水千代二郎(以下単に亡千代二郎という)の次男、長女、次女、長男であるが、亡千代二郎が昭和三三年四月二二日死亡したので、債権者等及び申請外清水英一は、亡千代二郎の遺産について共同相続し、亡千代二郎の所有であつた債務者会社の株式(本件株式を含む)をも共有するにいたつた。

しかるに、債務者設立中の財団法人清水育英会(以下単に債務者財団という)は、本件株式が、後述の亡千代二郎の遺言により同財団に帰属するものとしてその株券を占有し、これを債務者会社をして保管させている。しかも申請外広瀬英利が債務者財団の代表者と債務者会社の代表取締役とを兼ねているのを悪用して、債務者会社は、右株式の株主名義を財団法人清水育英会設立準備委員長広瀬英利の名義に書き換えている。債務者会社は、また本件株式に対する債権者等及び申請外清水英一の共有株主権を認めず、債務者財団をして右株式の株主権を行使させ、千代二郎死亡後の本件株式についての配当金も債務者会社に保留し、債権者等にその支払をしない状態にある。よつて、債権者等は、右共有株式に対する保存行為として本件申請に及んだ次第である。

(二) 債務者等主張の如く、亡千代二郎が、生前、遺言を以つて財団法人清水育英会設立のための寄附行為(以下単に遺言寄附行為という)をしたこと及び右遺言の執行者を債務者等主張の如く指定したことは認める。

(三) しかし、右遺言寄附行為は失効している。すなわち、右遺言をなした後、亡千代二郎は、知人である申請外伊藤忠兵衛から育英財団をその存命中に設立すべきことを勧められたので、右遺言による財団の設立をやめ、昭和三一年一一月二八日債権者清水清明、申請外広瀬英利、同辻井正之、同紅林武衛、同橋爪きん外四名とともに財団法人三桝育英会設立のための設立総会なるものを開催して、同人等の賛同のもとに、当時その所有にかかり、遺言寄附行為の出捐財産あつた債務者会社株式三〇四、七六五株のうち本件株式を除く二〇万株及び現金二〇万円を出捐して、遺言寄附行為と目的及び設立趣旨を同じくする別紙第二記載の如き財団法人三桝育英会設立のための生前行為たる寄附行為(以下単に生前寄附行為という)をなし、その設立許可申請が、同年一二月二五日附で三重県教育委員会を通じて主務官庁たる文部省に対してなされた。したがつて、右によれば、亡千代二郎は、遺言で企図した財団の設立を生前中にしようとして、遺言による財団法人清水育英会の設立をとりやめ、財団法人三桝育英会設立のための寄附行為をしたのであるから、右遺言寄附行為は、亡千代二郎の右生前寄附行為と抵触して無効となつたものといわなければならない。したがつて、本件株式は、亡千代二郎の遺産として、債権者等及び申請外清水英一に帰属するものである。

(四) 債務者等の主張に対し

(1) (寄附行為の成立と抵触について)

寄附行為は、主務官庁の設立許可を得るによつて始めてその目的とする効果を生ずるが、法律行為としては、主務官庁の設立許可の有無にかかわらず成立するのである。そして民法第一〇二三条第二項が遺言後の行為によつて遺言が取り消されたものとみなしているのは、この遺言後の行為のうちに遺言者の撤回の意思が看取され、そしてかような意思は、それ以前に示された意思よりも尊重さるべきであるという趣旨なのであるから、それは抵触行為それ自体に与えられた撤回の擬制なのであつて、法律行為から生ずる法律効果なのではない。したがつて、抵触行為があれば、その当然の結果として遺言の撤回を擬制するのである。したがつて、本件においても、生前寄附行為の内容が、遺言寄附行為のそれに抵触するという事実それ自体によつて遺言寄附行為は撤回されたものとして取り扱われるのであつて主務官庁の設立許可あるまでは、取消の効力が不確定であるわけではない。したがつて、設立許可以前であつても、亡千代二郎の遺言寄附行為が生前寄附行為に抵触することには変りがない。

(2) (いわゆる法定条件論について)

また、主務官庁の設立許可は、法定条件と称されるものの、行為者自らが法律行為の効力を制限する附款たる条件とは全く異なるものであり、行為者は単純に全面的に寄附行為の法律効果を意欲しているのであつて、寄附行為を条件付法律行為と同一視すべきではない。したがつて、設立許可以前であつても、亡千代二郎の遺言寄附行為が生前寄附行為に抵触することには変りがない。

(3) (設立不許可処分について)

更に、債務者等主張の如く、昭和三三年三月二四日附書面によつて文部省から財団法人三桝育英会の設立許可申請書が、運用財産の増額及び財団理事中債務者会社役職員との兼職理事の減員という事由を以つて亡千代二郎宛に返戻されたことは認めるが、右返戻は、右財団設立の不許可処分としてなされたものではない。すなわち、(イ)、文部省の行う財団法人設立許可申請に対する設立許可の権限は最終的に文部大臣が有し、不許可処分は官房総務課長が行うことになつており、不許可の場合の実際の方法は、官房総務課長が申請書を進達してきた地方教育委員会に送達し、右委員会を通じて申請書が返却されるのであるが、前記亡千代二郎宛の返戻は右手続によらず、許可、不許可の決定権のない担当係官が、行政指導として、財団設立許可についての文部省の指導方針を手紙に書き右指導方針に基づいて修正するよう示唆して便宜申請人たる亡千代二郎に送付してきたにすぎない。したがつて、正当な権限を有するものによつてなされていない以上、右返戻が文部省の不許可処分にならないことは明らかである。(ロ)また、その返戻事由上実質的に考えてみても、設立目的及び資産が財団法人の本質に適合しないことを理由としたものでないから、不許可処分がなされたとは考えられない。財団理事の構成の修正は、他律的法人である財団法人の設立については、民法第四〇条の法意からみて、補完の許される附随的事項であることが明らかであり、運用財産の増額という資産に関する変更の示唆も、文部省の一般許可基準の運用財産が五〇万円となつているので生前寄附行為による運用財産二〇万円に更に三〇万円を増額するようにとの単なる行政指導にすぎないのみならず、資産を増額することも、寄附行為における資産に関する規定が資産の増額を許している場合には、そのための修正補完は寄附行為の効力に関係なく許されるものであつて、寄附行為の同一性を失わしめるものでないが、本件の生前寄附行為においては、寄附行為に基づく出捐財産のほかに第三者からの寄附財産をも資産に含みうる規定(資産に関する規定中に「寄附金品」「その他の収入」との記載がある)があり、資産の増額を許しているのであるから、右の如き運用財産の増額を慫慂する趣旨の申請書類の返戻をもつて不許可処分があつたものということはできない。

(4) (生前寄附行為の撤回と亡千代二郎の意思について)

また、亡千代二郎は、前述の如く遺言寄附行為による財団設立の意思を放棄して生前寄附行為をなし、その設立許可申請手続中に死亡したものであるから、生前寄附行為による財団設立意思を放棄あるいは撤回し、遺言寄附行為に基づいて財団設立をしようとしたこともありえないことである。すなわち、亡千代二郎は、遺言による財団設立をやめ生前寄附行為による財団設立を企図して、生前寄附行為においては、財団の名称を三桝育英会に変えたり、特に資産の規定については遺言寄附行為に全く規定されていない基本財産と運用財産、寄附金品等の定めをなしたうえ運用財産二〇万円を新たに出捐することにしたり、理事に債務者会社の役員ばかりを予定していたのを文部省の行政指導により上田九一、高田義雄、所司金次郎等をこれから除き知人の小林長世、本田藤吉、吉田謙介、吉田一郎を加えるなど相当の努力をして設立を企図したものを、わづか三〇万円の運用財産の増額のためにこの財団設立の意思を放棄するとは考えられかい。しかも亡千代二郎は、前述の文部省からの設立許可申請書類の返戻によつて、財団法人設立許可のためには運用財産の寄附が必要であることを知つていたのであるから、それにもかかわらず運用財産のない遺言寄附行為によつて財団の設立をしようと考えるはずがない。

なお、亡千代二郎の育英財団設立の動機については、債務者等の主張とは異なり、亡千代二郎は、この財団設立によつて、社会的に人材の育成に貢献するとともに、債務者会社の健全な隆昌がもたらされることを期待しその結果清水家が安泰となると考えたことにある。このことは、遺言寄附行為においては申請外清水英一を理事予定者かつ遺言執行者とし、生前寄附行為においては債権者清水清明を理事予定者としていたことをみても明らかである。したがつて、亡千代二郎の生前寄附行為の真意も、債務者会社の持株の大部分を財団に寄附して自分の死後も株をちらさず、債権者清水清明を財団の理事長予定者として同人の債務者会社に対する立場を安定したものにしようとしたことにあつたのである。(出捐財産を二〇万株に減じたのは遺留分の侵害をさけるためである。)

以上の次第で、亡千代二郎の意思は、遺言の寄附行為をやめて、あくまでも生前に財団法人を設立しようとすることにあつたのであり、亡千代二郎が生前寄附行為を撤回したり、遺言を予備的に存続させる意思をもつていたとは思われない。

(5) (いわゆる遺言復活論について)

仮りに前述の文部省からの設立許可申請書の返戻をもつて不許可処分であるとし、それによつて生前寄附行為が効力を失うとしてもこれにより、当然に遺言寄附行為が復活するものではない。そもそも、遺言によるものと生前行為によるものとの二つの寄附行為が、いずれも同一の目的を達せんとするものである場合には、寄附行為者の意思としては、あるいは後者が失効すれば前者を復活させたいということにあることもあろう。しかしまた反対の意思であることもあろう。そこで、このような場合に寄附行為者の真意がそのいずれであるかを認定することの困難を考えて、遺言非復活主義を画一的に定めたのが、民法第一〇二五条の趣旨である。もつとも、本件においては、前述の如く、亡千代二郎には遺言を復活させようという意思がないことは明らかである。

(6) (遺言寄附行為に基づく財団設立許可申請に対する不許可処分について)

仮りに文部省からの前記返戻をもつて不許可処分であるとし、しかも遺言が復活するとしても、千代二郎死後、申請外広瀬英利がなした遺言寄附行為に基づく財団法人清水育英会の設立許可申請も、昭和三四年六月二九日基本財産の帰属が明確でないとの理由で、その設立許可申請書を返戻され、不許可処分を受けているのであるから、遺言寄附行為もその効力を失つているのであり、本件株式に対する権利が相続人である債権者等及び申請外清水英一に帰属することに変りはない。

(五) 債務者等の本案前の抗弁に対し

分割前の相続財産の共同相続人による管理、使用収益、処分などについては、これに関する別段の規定が定められていないので、共有物に関する民法第二四九条以下の共有物の管理、使用収益、処分に関する規定が適用されることになる。ところで右規定によれば、妨害排除の請求は保存行為として各共有者単独でなしうるところである。とすれば、本件株式は債権者等及び申請外清水英一が申請外亡千代二郎から共同相続をした財産であるから、債権者等は債務者等に対し単独で保存行為として本件申請をなしうるのであつて、これらの請求は必要的共同訴訟となるものではない。

二、債務者等

(本案前の抗弁)

債権者等の主張は、本件株式を分割前の相続財産としているが、その主張自体によつて、債権者等が本件当事者適格を有しないことは明らかである。

すなわち

(一)  分割前の相続財産ならば、それは共同相続人全員の合有にかかるもので、債権者等主張の如き共有関係ではない。したがつて、本件株式に対する所有権、これに基づく株主権についての管理処分の権能は、共同相続人全員に合有的に帰属しているものであつて、これに関する訴訟については必要的共同訴訟として共同相続人全員が訴訟の当事者とならなければならない。しかるに、本件申請は、共同相続人の一人である申請外清水英一を除外しているから、不適法として却下されなければならない。

(二)  仮りに、本件株式は共同相続人に合有的にではなく、共有的に帰属しているものと解しても、本件申請は保存行為とはいえないから不適法である。本件仮処分の本案請求権を共有権の確認請求とするならば、その訴の敗訴が当事者間では処分にひとしい結果を生むゆえに保存行為とはいえないし、また持分権の確認請求とするならば、その敗訴判決の既判力は他の共有者に対して及ぶべきであるから、結局敗訴が処分にひとしいという点において同様に保存行為ではないといわねばならない。更に共有物の引渡請求としてみても、共有者は持分権についてしか管理処分権がなく、したがつて持分権についてしか訴訟追行権をもちえない結果、保存行為として共有物そのものの引渡請求をなしうるところではない。以上の如く、本件株式の帰属が共有関係であるとしても、本件申請は保存行為としてなしうるところではなく、必要的共同訴訟によるべきものであつて、共同相続人の一人である申請外清水英一を欠いている以上、不適法として却下されなければならない。

(本案について)

(一)  債権者等及び申請外清水英一が昭和三三年四月二二日死亡した清水千代二郎の相続人であること。本件株式がもと亡千代二郎の所有に属していたこと、千代二郎死後本件株式の株主名義が財団法人清水育英会設立準備委員長広瀬英利名義に書き換えられ、その株券を債務者等が占有していること及びその配当金を債権者等に支払つていないことは認める。

(二)  しかしながら、債務者等の右占有は、次の如き正当な権限に基づくものである。

亡千代二郎は、幼少の頃から刻苦して事業に精励し、昭和二三年五月頃現在地において紡績業を始めて債務者会社を創立し、自ら社長となつたが、その後債務者会社の経営も安泰となつたので、国家の将来のために有為の人材を育成することに微力を俸げたいと念願するにいたり(なお後記(三)(1) (ハ)で述べる事情もあつて)育英事業を目的とする財団法人を設立しようと考え、昭和三一年一月一三日本件株式を含む自己所有の債務者会社株式三〇四、七六五株を出捐して、津地方法務局所属公証人庄司桂一作成の第一一〇〇一一号公正証書による遺言を以つて別紙第一記載の如き財団法人清水育英会設立のための寄附行為をした。同時に右遺言の執行者を債務者会社代表取締役一名、同会社取締役一名、祭祀を司どる相続人一名(清水英一)と指定した。そして千代二郎死後債務者会社の代表取締役となるとともに右遺言に基づいて遺言執行者となつた申請外広瀬英利が遺言の趣旨にしたがい、亡千代二郎の出捐財産である本件株式を含む前記株式三〇四、七六五株を保管し、その株主名義を財団法人清水育英会設立準備委員長広瀬英利名義に書き換え、その株券を債務者財団に引き渡したのである。債務者会社は、右債務者財団より右株券の保管を託されているのである。

(三)  債権者等主張の如く、亡千代二郎が財団法人三桝育英会設立のため生前寄附行為をし、ついで文部省にその設立許可申請をなした事実は認めるが、債権者等主張の右生前寄附行為が有効に存在し、それが遺言寄附行為と抵触するために遺言寄附行為が失効し、また遺言執行者の指定も無効となつたとの点については、債務者等は次のとおり主張する。

(1)  民法第一〇二三条第二項にいう遺言(寄附行為)後の「生前処分その他の法律行為」は存在しない。

(イ)(寄附行為の財産処分行為としての成立について)

寄附行為は、財団法人の設立行為の一環であつて主務官庁の許可があつたときに財団設立行為たる法律行為として成立し、同時に効力を発生するのであつて、それ以前は単に意思表示として成立し、その効力を発生しているにすぎない。つまり寄附行為にあつては、主務官庁の許可により財団の成立があつたときに財産処分行為としての法律行為が成立するとみるべきである。したがつて、寄附行為書を作成したこと、主務官庁たる文部省に設立許可申請をなしたことだけでは、未だ財産処分行為としての法律行為をしたとみることはできない。すなわち、主務官庁の許可によつてその財団の設立があるまでは、民法第一〇二三条第二項にいう「生前処分その他の法律行為」に該当する行為にまでなりいたつていないものといわなければならない。ところで、本件においては、亡千代二郎のなした生前寄附行為に対しその設立許可はないのであるから、右生前寄附行為は遺言後の「生前処分その他の法律行為」として存在するにいたつていないものである。

(ロ)(設立不許可処分について)

それのみならず、亡千代二郎のした生前寄附行為は、主務官庁たる文部省によつてそれに基づく財団設立を許可しえないこととされ、その存在を失つている。すなわち、亡千代二郎が生前寄附行為に基づいてした財団法人三桝育英会設立許可申請は、昭和三三年三月下旬文部省から、寄附財産の運用財産二〇万円を五〇万円に増額すること及び財団理事中債務者会社役職員との兼職理事を三分の一以下に減員することという事由で、このままでは設立許可を与ええないとして、設立許可申請書類が亡千代二郎に返戻されたのであるが、それは寄附行為の本質的要素である資産の増額等寄附行為の内容を変更しなければ許可をえることができないことであり、しかも資産を増額することは寄附行為の本質的要素の変更として前の寄附行為と同一性を保持しえない事態に立ちいたつてしまうのであるから、ここに亡千代二郎の生前寄附行為は、設立許可がえられないことに確定したのである。右文部省の変更指示は、法律上は、亡千代二郎に対し新たな寄附行為をすることを要求していたものといわなければならない。なお債権者等は生前寄附行為の資産に関する事項の中に「寄附金品」や「その他の収入」の規定があるから従属的な増額であるかぎり寄附行為の同一性を損じないというが、寄附行為中の「寄附金品」や「その他の収入」の規定は、財団が設立許可を得て寄附行為者とは独立の法人に成立した後右のようなものを資産に組み入れるというだけのもので、財団設立前寄附行為者に新たな出捐を求める場合にこのような規定を根拠にすることはできないのである。また右返戻が文部省の慣例的な内部的事務取扱上の正式の手続によつてされていないことをもつて不許可処分がなされていないとはいえない。事の本質に従つてみれば文部省の右返戻は不許可の意思表示とみなければならない。右のとおり亡千代二郎の生前寄附行為は、設立許可をえられないことによつて目的不達成が確定し、その存在を失つたものである。したがつて、生前寄附行為は遺言後の「生前処分その他の法律行為」としての存在となりえないものである。

なお、財団法人清水育英会の設立許可申請書が債権者等主張の如き理由をもつて文部省から返戻されたことは認めるが、右返戻は、寄附行為の出捐財産の権利関係が争われているからその確定をまたなければ許可できないというだけであつて、寄附行為の本質的要素の変更を求めるものではなく不許可処分といえない。仮りに右返戻をもつて不許可処分であるとしても、右の如き理由からみて、右財産の権利関係を明確にした後に再び遺言寄附行為に基づいて設立許可申請をすることはできるのであつて、遺言寄附行為それ自体を無効ならしめるような不許可処分ではない。

(ハ)(生前寄附行為の撤回と亡千代二郎の意思について)

仮りに以上の主張がなりたたないとしても、亡千代二郎は、文部省からの設立許可申請書類の返戻の後、昭和三三年三月下旬ないし四月初、生前寄附行為による財団設立を取り止め、右寄附行為を撤回したのであるから、生前寄附行為は結局その存在を失なうにいたつている。

亡千代二郎が生前寄附行為による財団設立を取り止めた事情は次のとおりである。

そもそも亡千代二郎が財団設立を思い立つたのは、同人が債権者等子弟の教育に失敗したことを悟り、死後同人所有の債務者会社の株式を債権者等に相続させるときは、債務者会社がたちまち撹乱されて会社株主や会社債権者に多大の迷惑を及ぼすものと考えたことからである。亡千代二郎は、債権者清水清明が債務者会社の専務取締役でありながら社務を顧みず一、二カ月にわたつてその行方を不明にし、また昭和二九年春債務者会社の増資に際しても右千代二郎からその持株の三分の一を与えられていたのであるが、債権者清水清明は「会社はつぶれるであろう。自分は斜陽産業に協力する気はない」とうそぶき、その持株を売りに出して、右増資に多大の障害を与え亡千代二郎を憤怒させたが、その後取得した新株をも依然売却しつづけ、昭和三〇年中頃にはついに右新旧株合せて約一四万株を売りつくしたことがあり、右清水清明は同年九月取締役を退任させられている。亡千代二郎は、清明について周囲のものに対し同人の死後は右清明を債務者会社から排して会社存続の方途を講ずべきことをもらし、たまたま同人が脳溢血で倒れた後には真剣にその没後の処置を考え、前述の遺言公正証書を作成するにいたつた。ところが、たまたま亡千代二郎が多年指導後援を受けてきた申請外伊藤忠兵衛からかかる善行は生前に行い自ら理事長となつてその発展を期するがよいと助言され、同人としてはこれに従わざるをえない破目に立ちいたつた。しかし生前にその持株を手離しては会社経営に支障をきたすこととなり、同人が事業を離れて生活することなど到底たえがたいところであり、他方師事する右伊藤忠兵衛の言を無視することもできず、やむなく一時の方策として昭和三一年一一月二八日債務者会社の株式二〇万株と現金二〇万円を出捐して財団法人三桝育英会を設立することとし、債権者等主張の生前寄附行為をした。かかるいきさつで、同人は生前右財団の設立に着手し、同年一二月二五日文部省に設立許可の申請をしたが、その熱意はなく、昭和三三年三月頃に前述の如く右申請書が返戻されたのを幸い、同人は「これが駄目なら、あとは遺言でやつてくれ」と生前寄附行為による財団設立の意図を放棄し、右育英事業の念願を死後に委ねるにいたつたのである。

かようにして亡千代二郎は生前寄附行為を撤回するにいたつたのであるから、生前寄附行為はその存在を失い遺言後の「生前処分その他の法律行為」としての存在となりえないものである。

(2)  仮りに右主張が認められず、生前寄附行為が民法第一〇二三条第二項にいう「生前処分その他の法律行為」として存在するとしても、それはいまだ遺言に抵触する効果をもつものではない。

(イ)(いわゆる同一方向論について)

亡千代二郎の遺言寄附行為と生前寄附行為とは、前述のとおり、出捐財産に相違があつたが、ともに同一の目的を目指したものであつて、生前寄附行為は遺言による寄附行為を時期的に早めて生前に財団設立行為に着手したにすぎない。千代二郎の意思は、同一目的のために遺言による財団か生前寄附行為による財団かどちらかの方法によつて育英のための財団が設立されることを望んでいたのであつて、仮りに生前寄附行為による財団ができないときは、遺言のそれによつて所期の目的を貫徹しようとしていたものである。したがつて、遺言寄附行為が不必要として取り消されたものとみなされるのは、あくまで生前寄附行為によつて確定的にその目的を達した場合に限られるのであつて、それまでは遺言を予備的に存続させる意思と認めるのが事理の当然である。この意味で生前寄附行為の目的が成就確定するまでは、それは遺言に抵触する効力をもつものとはならない。本件において生前寄附行為による財団設立は、文部省の設立許可がなくその目的が達せられていないから、右生前寄附行為の存在は遺言に抵触するものとはならない。

(ロ)(いわゆる法定条件論について)

つぎに寄附行為は主務官庁の設立許可を法定条件としているが、右法定条件は停止条件と同視すべきであつて、右条件成就までは生前寄附行為が遺言に抵触することはない。すなわち、寄附行為においては、設立許可があつてはじめて財産の移転が生ずる意味で、右法定条件の成就により寄附行為の効力が生ずるといつてよいし、したがつて、寄附行為者の意思も設立許可があれば財産を出捐しようという意思であることも争えない。この意味で、生前寄附行為に含まれる遺言撤回の意思の有無ないし強弱は、停止条件付法律行為の場合と同視すべきものである。したがつて、生前処分が停止条件付の場合、停止条件の成就によつてはじめて民法第一〇二三条にいう遺言に抵触する効果を生ずるとの理論が寄附行為の場合にも類推適用され、その設立許可があるまでは遺言に抵触する効果をもつものではないと解されるべきである。本件生前寄附行為について、まさに設立許可という法定条件が成就されていない。

(3) (いわゆる遺言復活論について)

仮りに右の主張に反し、亡千代二郎の生前寄附行為が遺言寄附行為に抵触する行為であり、右遺言が取り消されたとしても、次に述べるとおり遺言は復活している。

民法第一〇二五条は、遺言に抵触する行為が失効した場合の遺言の効力につき非復活主義の原則を明らかにしている。そして同条但書は、抵触行為の失効が詐欺強迫による場合のみを例外として遺言の復活を認めているが、右の例外はその場合に限るべきでなく、その趣旨を拡張して、遺言者に遺言の復活を望む意思が明らかである場合にも遺言の復活を認めるべきである。けだし非復活主義は、遺言者の死後その意思の存否を探求することが危険であるので、むしろ遺言がなかつたとみる方が穏当であるという点に根拠があるが、遺言法が終始遺言者の終意確保を目的としている以上、遺言に抵触する生前処分等が効力を失い、しかも遺言者が遺言に従う意思を有すると認められる場合には、遺言を復活させるべきだと解されるからである。ところで本件の場合、亡千代二郎が生前寄附行為をしたのは、前述のごとく遺言の趣旨を時期を早めて実現しようとしたにすぎない。したがつて、前記(三)(1) (ロ)で述べた如く、生前寄附行為は財団設立の許可がえられず、その目的を達しえなくなつたのであるから、その後は亡千代二郎が遺言によつて育英財団の設立を行いたいとの意思をもつていたことは明白である。亡千代二郎自身も設立許可申請書類の返戻の際「あとは遺言でやつてほしい」と明言していたのである。かように亡千代二郎の最終意思は、遺言の復活にあることが明白であるから、生前寄附行為に抵触し、一旦取り消されたとしても、亡千代二郎の遺言寄附行為は効力を回復していると解すべきである。

(保全の必要性)

一、債権者等

(一) 前述のとおり債権者等が申請外清水英一とともに本件株式の共有者でありその持分権を有するものであるのにかかわらず、債務者等はともに前述の遺言が有効に存続すると主張し、相続人である債権者等にその処分権限がないものとしてこれが引渡を拒み、また債権者等が右株式の株主であることを争つている。そして債務者等の代表者を兼ねている広瀬英利がその地位を悪用して次のような行為に出ている。すなわち

(1)  債権者等から債権者等相続人への株主名義書換の請求を受けながら、亡千代二郎所有名義の本件株式を含む前記三〇四、七六五株の株主名義を昭和三三年九月三〇日附で債務者財団設立準備委員長広瀬英利の名義に書き換え、以後その株主権を右名義で行使してきている。しかも広瀬は右名義書換を遺言執行者としてなしたと称しながら、遺言執行者の一人である申請外清水英一の同意を得ずして書換手続をしたのである。

(2)  債務者等が占有する本件株式を含む右三〇四、七六五株の株券の保管状況は極めて不明確であり、債務者等は債権者等相続人の要求にかかわらず、保管証明書の作成すら拒んでいる。それのみならず、債務者等は千代二郎存命中は債務者会社の本社金庫に保管されていた右三〇四、七六五株株券を、本件株式を除く二〇万株につき、申請外設立中の財団法人三桝育英会に帰属するとしてこれを執行吏の占有に委ねる旨の仮処分判決(津地方裁判所昭和三四年(ヨ)第一三号)があつた後、債権者等に何らの通知をすることなく無断で東京の広瀬自宅まで持ち帰り、右判決の執行を不能ならしめたことがある。その後、右二〇万株の株券は執行吏の占有するところとなつたが、右仮処分判決が控訴審である名古屋高等裁判所において右設立中の財団法人三桝育英会に当事者能力なしとして取り消された後、再び債務者等がこれを占有し、その保管状況が不明となつた。そして、債権者等が右二〇万株に対し仮処分申請をして始めて大阪市の株式会社富士銀行備後町支店に債務者会社名で保護預けしていることが判明した有様である。かよう債務者等は、本件株式を含む三〇四、七六五株株券についてその所在を極力債権者等に隠匿しようとしている。

以上のような債務者等の態度から考えて、もし本件株式を債務者等の占有にまかせておけば、折角勝訴判決を得ても、どのような悪辣な方法で執行を妨害され、あるいは執行不能となるやもはかりしれない。それゆえ本件株券を執行吏の保管に委ね、また債務者財団が本件株式を第三者に対して譲渡質入その他一切の処分をすることを禁ずる仮処分命令が必要である。

(二) 右の事情に加うるに、次の如く、債務者会社代表取締役である広瀬英利が同会社取締役申請外辻井正之等とともに、債務者会社の運営にあたり、株主を犠牲とし役員個人の利益のみをはかるため不正かつ法令違反の職務執行をしている事情にあるので、本案判決確定にいたるまで債権者等はいつにても本件株式の株主権を行使しうる状態になければ、本件株主として著しい損害並びに急迫な危険を防止しえない。

(1)  債務者会社の取締役である債権者清水清明を取締役会にも招集せず、勝手な決議をなし、昭和三三年五月二九日開催された債務者会社第二〇期定時株主総会を取締役会の決議なく招集し、右株主総会の際、債権者清水清明に対し債務者会社の書類一切の閲覧を禁止した。これらは明らかに他の取締役の不正を隠匿するためである。

(2)  昭和三五年五月三一日開催された第二四期株主総会において、未曾有の利益をあげたと称しながら、株主配当は従来どおりとし、役員賞与金のみを一五〇万円から二五〇万円に増額する案を提出した。そして特別利害関係人である広瀬等の役員票をも行使して可決した。

(3)  そのうえ、広瀬等は、役員報酬月額六〇万円以内を倍額の一二〇万円以内と改定する議案を、取締役会における債権者清水清明の反対をも無視して可決したうえ、右株主総会に付議しようとした。これが可決されると、一決算期(六カ月)七六〇万円もの多額の報酬金が支払われる可能性が生じ、それは株主配当金の半額にも相当するもので、債務者会社の如き小企業の会社にとつては全く均衡を失した多額のものである。

なお、債務者会社の現役員は、たまたま業界の好況で利潤をあげているのをその功績の如く主張するがもし現役員以外の者がその運営にあたれば、より多くの利益があげられることは必定である。

(4)  また債務者会社の申請外日本新綿花株式会社に対する債権を破産債権に等しいものと考えながら、これを完全な資産とみなして実質的利益金として計上し、利益金処分をなしているが、会社の健実経営のためには税務上損失として処理できるかどうかは別として、取立不能と考えた債権は、実質上の損失として処理すべきで、税務上損失として認められないからといつてこれを基準にして配当をしたり、多額の賞与を計上したりするのは、極めて危険な経営方針である。

(5)  昭和三四年一一月三〇日に開催された債務者会社第二三期定時株主総会の際、債権者等は、本件仮処分決定に基づき、本件株式につき、債権者等及び申請外清水英一の代表者を債権者清水清明と定めて届け出したにもかかわらず、同人に対して総会招集の通知もなさず、また右株主総会において議長となつた広瀬英利は債権者清水清明の右仮処分決定に基づく議決権の行使を認めなかつた。

(6)  また何ら正当の理由なく、債務者会社の現役員に不利と思われる債権者清水清明、債権者等代理人弁護士申請外浜口雄の株主名簿の名義書換請求を拒絶したことがあるが、かかることは上場株会社として著しく会社の対外的信用を失墜するものである。

右の次第で債務者会社の株式多数を有する債権者等としては、代表取締役広瀬英利等による債務者会社の不正違法な運営を正常な運営にもどす必要があり、そのためには右広瀬等に対する取締役の解任請求や、昭和三六年一一月開催される予定である第二七期株主総会(取締役等の任期満了による改選がなされる)における取締役選任につき累積投票請求をするなどの必要があるので、債権者等において本件株式の株主権の行使が許されなければならない。その反面債務者等による本件株式の株主権の行使を許さないものとしなければならない。

なお、債権者等は、本件株式について債務者等の妨害により配当金の受領すらできないのに亡千代二郎の相続財産として多額の相続税を課され著しい損害を蒙つているが、さらにその余の前記二〇万株についても同様課税するとの通知があり、そうなれば債権者等の損害はいよいよ甚大となるので、冒頭の追加申請に及んだ。

二、債務者等

本件仮処分は、その必要性の点においても理由がない。

(一) 本件株式を含む三〇四、七六五株の株主名義を債務者財団設立準備委員長広瀬英利の名義に書き換え、以後株主権を右名義で行使してきたことは認めるが、右株主名義の書換は、前述の亡千代二郎の遺言に基づく遺言執行としてなされたものである。遺言執行者である申請外広瀬英利が、遺言の趣旨にしたがい、右株式の株券を寄附財産として保管し、遺言の命ずる財団法人清水育英会を設立するため遺言の執行行為として右債務者財団にこれを引き渡し株主名義を債務者財団名義に書き換えたことは遺言執行者として当然の法定義務を履行したものである。なお右名義書換を申請外清水英一に無断で行つたことはない。

かくして本件株式は債務者財団に帰属するにいたつたのであるから、財団を代表する者が財団の名において株主権を行使したのである。債務者財団設立準備委員長広瀬英利は、本件株式等を財団に帰属するものとして確保し運用せんがために右処置に出ているのであるから、これを他に処分する危険等は皆無である。また債務者会社がこれを財団から託されてその保管にあたつていることをみても、債務者財団がこれを処分して債権者等に損害を与えることはありえない。また債務者会社が右株式の保管証明書を交付しておらないことは争わないが、債権者等がこれを求める権利はないものと解するし、その保管状態はすでに債権者等に報告してある。また本件株式を含む三〇四、七六五株の株券は、債権者等主張の仮処分申請以前から債務者会社の東京事務所の金庫に保管されていたものである。本件株式を除く二〇万株については現在銀行保管証明書を裁判所に提出している。

以上からして債務者等が本件株式を他に処分するおそれは全くないのである。

(二) 更に、債権者等が本件様式の株主権を行使しなければならない急迫な事情はない。

債務者会社は債権者清水清明に対する取締役会招集通知を欠かしたことはなく、同人が勝手に行方をくらまして出席しないだけであり、また会社書類の閲覧を拒んだこともない。社務に差し支えないかぎり閲覧させている。

債務者会社の経営については、債務者会社は第二三期、第二四期、第二五期と益々隆盛となり、以前にました業績をあげている。したがつて、役員賞与を増額することは当然のことでむしろ少いくらいであり、役員報酬増額については、経済状勢の変化に加え、債権者清水清明自らの増額要求に基づいて増額案が作成されたのであるがこれはすでに撤回されている。また、申請外日本新棉花株式会社に対する債権を資産に計上しているのも、破産その他一定の事由がなければ税務会計上損金に計上することができずやむをえないことである。また、本件仮処分決定に基づく債権者等の株主権行使を妨害したことはない。債権者等が申請外清水英一の同意が得られないため一回も行使できないだけである。

また申請外浜口雄の株主名義書換請求に対しては、弁護士法上の疑義があるので研究させてほしいといつたにすぎず、現在ではすでに名義書換されている。

その他債務者会社の取締役等が違法な業務執行をなしている事実はない。

なお、債権者等は、本件株式を除く二〇万株についても相続税を課する旨の通知を受けているというが、その事実は疑問である。仮りに債権者等主張のとおりとすれば、それは相続税法の解釈にそわないもので、非課税として扱わねばならないものである。

右の次第で債権者等に本件株式の株主権の行使を許容し、配当金の支払を受けさせなければならない理由もない。

第三、疏明

一、債権者等

甲第一ないし第三号証、第四号証の一、二、第五ないし第八号証、第九号証の一、二、第一〇ないし第二二号証、第二三号証の一、二、第二四ないし第三四号証、第三五号証の一、二、第三六ないし第四五号証を提出し、証人米倉貢、同溝口孝の各証言及び債権者清水清明尋問結果を援用し、乙第四、第七、第一二、第一三号証、第一四号証の一、第一八号証、第二三ないし第二六号証、第三三号証、第一〇四ないし第一〇六号証、第一〇九号証、第一一六号証、第一一七ないし第一一九号証、第一二〇号証の一の成立は不知、第一〇三号証はその原本の存在及び成立ともに不知、第一二〇号証の二は郵便官署作成部分の成立は認め、その余の成立は不知、第一〇一号証の一ないし五はその原本の存在及び成立を認め、その余の乙号各証の成立は認めると述べた。

二、債務者等

乙第一、二号証の各一、二、第三、第四号証、第五号証の一、二、第六ないし第一三号証、第一四号証の一ないし三、第一五、第一六号証、第一七号証の一、二、第一八ないし第二〇号証、第二三ないし第二六号証、第二九号証、第三一ないし第三五号証、第一〇一号証の一ないし五、第一〇二号証の一ないし四、第一〇三ないし第一〇六号証、第一〇九号証、第一一三、第一一四号証、第一一五号証の一ないし四、第一一六ないし第一一九号証、第一二〇号証の一、二を提出し、証人中沢専一、同辻井正之、同紅林武衛、同上田久一、同清水英一、同森井春郎、同藤下和郎の各証言及び債権者両名代表者広瀬英利の尋問結果を援用し、甲第一八ないし第二一号証、第三二、第三三号証の成立は不知、第二、第三、第一〇、第一二、第二八号証はその原本の存在及び成立を認め、第二九号証はその認否なく、その余の甲号各証の成立は認めると述べた。

理由

第一、債務者財団の当事者能力について

先ず、債務者財団が、民事訴訟法第四六条のいわゆる権利能力なき財団として、当事者能力を有するか否かについて判断する。

そもそも、民事訴訟法第四六条が、法人格を有しない財団であつても代表者又は管理人の定めあるものは、その名において訴え、又は訴えられることができる旨を規定し、そのような財団の当事者能力を認めているゆえんは、社会の現実において法人格のない財団が発生し、これが社会活動を営んで取引関係にも立つている以上、その間において紛争衝突の生ずることも免れないので、その紛争が生じた場合にこれを解決する便宜のため率直に団体の存在を訴訟上認めようとするところにある。したがつて、同法条にいわゆる権利能力なき財団とは、一定の目的のもとに捧げられた特定の財産であつて、実質的に個人の帰属を離れた独立の存在として、すなわち寄附行為者の個人的財産から明確に分別されて管理運用され社会生活上においても一個の団体として取り扱われているものをいうと解しなければならない。

そこで、本件についてみるに、亡清水千代二郎が死後その所有する債務者会社の株式三〇四、七六五株を出捐して育英事業を起そうと思い立ち、昭和三一年一月一三日遺言をもつて別紙第一記載の如き財団法人清水育英会設立のための寄附行為をなしたこと、亡千代二郎は右寄附行為中において設立すべき財団法人の目的、名称は勿論、事務所並びに資産及び理事の任免に関する規定を定めていること、理事については、債務者会社代表取締役一名、同会社取締役一名、相続人にして亡千代二郎の系譜祭具、墳墓の所有を承継し祖先の祭祀を主宰するもの一名の合計三名と規定し、同時に理事を右遺言の執行者として指定していること、その後亡千代二郎は昭和三三年四月二二日死亡したこと、同人の死後、債務者会社代表取締役の地位に就いた申請外広瀬英利が右遺言に基づいて遺言執行者に就任し、遺言寄附行為に基づく財団法人清水育英会の設立をなさんとして自ら右財団の設立準備委員長となり、右寄附行為の目的財産である亡千代二郎所有の前記株式三〇四、七六五株の株主名義を財団法人清水育英会設立準備委員長広瀬英利名義に書き換えたうえ同一名義にて文部省に右財団の設立許可を申請したこと及び千代二郎死後債務者会社の株主総会において右と同一名義で前記株式の議決権が行使されてきたことは当事者間に争いがない。また成立に争いのない乙第一四号証の三及び証人辻井正之、同米倉貢、同清水英一の各証言によれば、亡千代二郎は死亡当時前記株式三〇四、七六五株の他に債務者会社株式八、五〇〇株その他の資産を所有し、それらを債務者会社金庫に前記出捐株式とともに保管していたのであるが、同人の死後右出捐株式を除く株式その他の財産については遺産として相続人等が受領している反面、右出捐株式のみが遺産とは別個に取り扱われていた事実が認められる。これらの事実からすれば、遺言寄附行為の出捐財産である前記株式三〇四、七六五株は設立されるべき財団法人清水育英会の目的財産として、千代二郎死後遺産として相続人に渡されるべき債務者会社株式八、五〇〇株その他の財産とは分別されて保管されてきたものであり、その株主名義も右財団設立準備委員長広瀬英利名義に書き換えられ、しかも債務者会社株主総会において右株主名義にて議決権を行使されてきたものであつて、右出捐株式は、寄附行為者千代二郎の個人的財産から明確に分別され、実質的に個人の帰属を離れた独立の存在として管理運用されてきたものというべく、他方、右財団の設立手続は、遺言執行者広瀬英利によつて始められ、同人が右財団の設立準備委員長という右財団の代表者的地位に就き、その名義のもとに文部省に対する設立許可申請手続がとられてきたのであつて、設立中の右財団は、前述の如き目的財産の独立の存在とあいまつて、すでに社会生活上においても一個の団体として取り扱われているものと解するのが相当である。

したがつて、設立中の右財団すなわち債務者財団は、民事訴訟法第四六条にいわゆる権利能力なき財団として、当事者能力を有するものと判断する。

第二、必要的共同訴訟の主張について、

本件仮処分申請が債務者等主張の如く必要的共同訴訟であるかどうかについて検討するに、遺産分割前の相続財産が共同相続人の「合有」に属するものか、あるいは「共有」に属するものと解すべきかは学説、判例上見解の岐れているところである。しかし、そのいずれの見解をとるにせよ、相続財産の管理のうち保存行為について各共同相続人が単独でこれをなしうるものと解すべきことは明らかであろう。(民法第二五二条但書)。けだし、仮りに債務者等主張の如く、分割前の相続財産が共同相続人の合有に属するとしても、共同相続人の持分権に基づく処分行為についてはともかく、合有物そのものの使用、収益、管理、処分については現行法上一般に共有に関する民法の規定の類推適用を受けるものというべく、その点において共有財産についてのそれと異ならぬと解されるからである。したがつて、本件仮処分申請が相続財産の保存行為であれば、各共同相続人が単独でこれをなしうるのであつて、必要的共同訴訟にはあたらないものといわねばならない。もとより右の保存行為にあたるか否かは、その行為の目的および性質によつて判断さるべきであつて、仮処分という保全処分の申請であるからといつて当然に保存行為にあたるものとはいえないし、また訴訟提起行為自体が処分行為であつて保存行為ではないと速断すべきものでもないことはいうまでもないところである。

そこで、本件申請についてみるに、債権者等の主張によれば本件株式は分割前の相続財産であるが、右株式に対する債務者等の占有を解いて執行吏に保管を命ずる(執行吏はそれを株式会社東海銀行金庫に保管を託することができる)旨の仮処分申請、債務者財団による本件株式の処分禁止の仮処分申請及び本件株式に対する配当金の支払を求める旨の仮処分申請は、右株式及び配当金に対する債権者等の引渡請求権を保全するものであつて、右に述ベたいわゆる保存行為に属するものであり、債務者財団による本件株式についての株主権の行使を禁ずる旨の仮処分申請及び債権者等以外の者による本件株式についての株主権の行使を禁ずる旨の仮処分申請は、いずれも本件株式に対する債権者等の権利が債務者等の株主権行使によつて損害を蒙むることを避け債権者等の右権利を保全せんとするものであつていわゆる保存行為に属するものである。また債権者等の株主権行使を許容する旨の仮処分申請も、株主権の行使が、本質的には株主が企業に投下した資本である株式の価値の保持、すなわち経済的目的のための結合体としての株式会社における株主の正当な経済的利益の保護を目的とするものであるから、これまた債権者等の前記権利を保全するものであつていわゆる保存行為に属するものといいうる。したがつて、以上の仮処分申請に関しては、必ずしも共同相続人全員によつて申し立てられる必要はなく、一部の共同相続人によつて適法に求めうるものである。これと異なり、共同相続人の一人である申請外清水英一を欠いているゆえに不適法であるとの債務者等の主張は採用できない。

ただ債権者等及び申請外清水英一の本件株式についての共有権確認の仮処分申請については、その本案の訴訟が、右仮処分申請の被保全権利である共有権そのものの確認を求めることとなるわけであるが、共同相続人のうちの一部の者が共有権確認の訴を提起した場合、時としてはその共有権を否定した敗訴の判決を受け、事実上他の共同相続人に不利益を及ぼす場合もあり、また時としては、他の共同相続人の提起した同種訴訟の判決と事実上相互に抵触する虞れも認められるので、右の訴の提起は、その行為の性質からみて、単に保存行為に属するものとはいえず、いわゆる処分行為にあたるものと解せられる。ところで相続財産の処分行為については、前述の如く、共有に関する民法の規定の適用を受け、共同相続人全員によつてなされなければならないことは明らかである。そうとすれば、右の訴を本案の訴訟とする本仮処分申請はいわゆる保存行為に属するものとはいえず、いわゆる処分行為と解され、必要的共同訴訟として共同相続人全員によつて求められなければならないのであつて、債権者等の申請自体によつて明らかなように共同相続人の一人である申請外清水英一を欠いている本申請は、右の理由により不適法として却下されるべきである。なお、債権者等の右申請をもつて、本件株式に対する債権者等各自の持分権確認の申請と解することも、その明確な主張なきかぎりできないところである。右申請に対する債務者等の主張は理由がある。

第三、被保全権利の存否について

一、債権者等及び申請外清水英一が昭和三三年四月二二日死亡した清水千代二郎の相続人として、同人の遺産について共同相続したこと、亡千代二郎は、生前本件株式を含む債務者会社株式三〇四、七六五株をも所有していたが、同人の死後債務者財団が右株式を亡千代二郎の遺言により右財団に帰属するものとしてその株券を占有し、これを債務者会社に保管させていること、右株式の株主名義が財団法人清水育英会設立準備委員長広瀬英利名義に書き換えられ、右名義で株主総会における議決権が行使されてきたこと、亡千代二郎は生前右株式三〇四、七六五株を出捐して育英事業を目的とする財団を設立しようと思い立ち、昭和三一年一月一三日津地方法務局所属公証人庄司挂一作成の第一一〇〇一一号公正証書による遺言を以つて別紙第一記載の如き財団法人清水育英会設立のための寄附行為をしたこと、その後同人は知人の申請外伊藤忠兵衛の勧奨により同年一一月二八日右株式三〇四、七六五株のうち二〇万株及び現金二〇万円を出捐して前記遺言、寄附行為と目的及び設立趣旨を同じくする別紙第二記載の如き財団法人三桝育英会設立のための寄附行為をなし、その設立許可申請を同年一二月二五日附で三重県教育委員会を通じて主務官庁たる文部省に行つたが、昭和三三年三月下旬右申請書類が文部省から寄附財産の運用財産二〇万円を五〇万円に増額すること及び財団理事中債務者会社役職員との兼職理事を三分の一以下に減員することという事由を付されて亡千代二郎宛に返戻されたことは、いずれも当事者間に争いがない。

二、そこで先ず、右の遺言後に亡千代二郎のなした生前寄附行為が遺言寄附行為に抵触する「生前処分その他の法律行為」にあたり、そのゆえに遺言寄附行為が取り消されたものとみなされるか否やについて判断する。

亡千代二郎は一つの育英財団の設立を企図していたのであつて、二つの育英財団を設立する意思をもつていなかつたこと、亡千代二郎としては遺言による育英財団の設立を前記申請外伊藤忠兵衛の勧奨により時期を早めて生前にその設立をしようとしたものであること、したがつて遺言寄附行為によるものも生前寄附行為によるものも同一の目的及び設立趣旨に立つており、その出捐財産も前記株式三〇四、七六五株のうち二〇万株については共通していたことは弁論の全趣旨から明らかなところである。そしてこれらの事実によれば、遺言寄附行為と生前寄附行為とはその内容の実現において両立しえないものと解される。ところで民法第一〇二三条第二項にいわゆる抵触とは、後の生前処分等が、その内容自体において前の遺言と明白に抵触する場合、つまり後の生前処分等を実現させるときは前の遺言の執行が不能となるような場合をいうのであるが本件においては前述の如くであるので両寄附行為は抵触するものと解さざるをえない。債務者等は、寄附行為は財産処分行為としては主務官庁の許可があつてはじめて成立するのであつて、それまでは「生前処分」その他の法律行為ありとはいえない旨を主張するが、寄附行為は財団法人設立の目的をもつて一定の財産を出捐し、法人の根本規則を定めて書面に記載するという単独行為たる法律行為であり、そこには目的財産を出捐する意思と行為が含まれているのであつて、主務官庁の設立許可以前であつても、完全に財産処分行為たる存在をもつものである。すなわち、寄附行為それ自体で生前処分となりうるものである。ところで民法第一〇二三条第二項が、遺言後の生前処分によつて遺言が取り消されたものとみなしているのは、遺言後の生前処分のうちに、それが遺言に抵触する内容をもつがゆえに、遺言者の遺言を取り消す意思が推定されることに基づく、すなわち、遺言(取消)自由の原則からこの意思の推定を重視し、遺言取消の便法を認めようということである。したがつて、その法意からすれば、同法条は遺言に抵触する生前処分の存在自体に与えられた遺言取消の擬制というべきものであつて、その抵触処分が目的とする法律効果が生じてはじめて遺言取消の擬制が生ずるものではない。それゆえ、前述の如く寄附行為それ自体で生前処分としての存在をもつものであるから、主務官庁の設立許可によつて財団法人が設立され、出捐財産がそれに帰属するという効果が生ずるまでもなく、それに抵触する遺言は取り消されたものと擬制されることになる。したがつて、本件についてみるに、前述の如く遺言寄附行為の後に、それと抵触する生前寄附行為がなされている以上、遺言寄附行為は生前寄附行為がなされたそのことによつて取り消されたものといわねばならない。

右の判断に反する債務者等の主張は採用しがたい。

三、次に債務者等は、生前寄附行為による財団設立については文部省によつて不許可処分がなされたから生前寄附行為はその存在を失い、生前処分としての存在をもちえない旨を主張しているのであるが、右の主張は債務者等のその余の主張と併せ考えると、帰するところ、文部省による不許可処分によつて生前寄附行為をもつて財団を設立することは不可能になつたのであるが、かかる場合亡千代二郎は遺言寄附行為によつて財団の設立をはかろうとする意思を有したであろうから、生前寄附行為によつて取消を擬制された遺言寄附行為の効力の復活を認めるべきであるとの主張と解される。けだし、前述の如く、生前寄附行為がなされたこと自体に遺言寄附行為の取消が擬制されるのであつて、生前寄附行為が設立不許可処分によつて目的を達しえなくなつたからといつて取消の擬制がなくなつてしまうものではなく、かかる場合遺言者の意思が明らかに遺言寄附行為による財団設立にあるとしても、それは取消が擬制された遺言寄附行為の効力を回復させるか否かの問題、つまりいわゆる遺言の復活の問題に帰着するからである。

また、亡千代二郎は、生前寄附行為を撤回し、それによる財団設立をとりやめたので生前寄附行為はその存在を失い「生前処分」としての存在たりえないとの債務者等の主張についても、右主張は、亡千代二郎が新たに遺言あるいは生前処分をしたことを主張しているのではなく亡千代二郎の意思が取消を擬制された遺言寄附行為による財団設立にあつたという趣旨の主張であると解されるから、結局遺言の復活の問題に帰着することになる。

更に、債務者等主張のいわゆる同一方向論および法定条件論も、同様に遺言の復活の問題に帰着するものと解される。すなわち、いわゆる同一方向論について言えば遺言寄附行為と生前寄附行為とが育英財団の設立という同一の目的を目指していたとしても、その内容の実現において両立しえないならば、生前寄附行為がなされたときに抵触を生ずることには変りがないのであつて、いわゆる同一方向論として主張されているところは、ただ同一の目的を目指しているがゆえに、生前寄附行為が目的不達成に終つたとき、遺言者の意思は取消を擬制された遺言寄附行為による財団設立にあるということであり、したがつて結局は遺言の復活の問題に帰着するし、いわゆる法定条件論について言えば、財団法人の設立は主務官庁の設立許可にかかつているとはいえ、寄附行為にあつては寄附者の処分の意思は確定的なものであるから、寄附行為がなされたこと自体で抵触を生ずることには変りがないのであつて、いわゆる法定条件論として主張されているところはただ主務官庁の設立許可にかかつているがゆえに、生前寄附行為が設立許可をえられなかつたときには、遺言者としては取消が擬制された遺言寄附行為による財団設立をしようとの意思をもつにいたるということであり、したがつて結局はやはり遺言の復活の問題に帰着するのである。

そこで、右の債務者等の各主張については、いずれも遺言の復活の主張として次に判断することにする。

四、民法第一〇二五条は、生前処分によつて取り消された遺言は、その生前処分が取り消され、又は効力を生じなくなるに至つたときでもその効力を回復しないとして、いわゆる非復活主義をとつている。それは、遺言に抵触する生前処分が取り消され、又は効力を生じなくなつたときに、取消を擬制された遺言の効力を復活させるか否かは遺言者の意思によつて決定するのが本来であるが、しかし、それでは利害関係人の間に争いを生じやすく、しかも遺言者の死後、その意思を解釈することは極めて困難であり、また危険でもあるので、一律にその効力を復活させないことにしたのである。ただ同条但書は、生前処分が詐欺又は強迫によつてなされており、それに基づいて取り消された場合には非復活主義の適用を排除している。けだし、かかる場合には、遺言者が遺言を取り消したのは真意でないことが客観的に明らかであり、当然復活すべきものと考えられるからである。したがつて、同条の法意からすれば、生前処分が取り消され、又は効力を失うにいたつたときの遺言者の意思が、客観的に争う余地がないほど明らかに遺言の復活を希望するものとみられる場合についてまでも、非復活主義を固執すべき理由はなく、遺言者の意思が遺言の復活にあることが客観的に争う余地がない程度に明白な場合には、本条但書を類推して遺言の復活を認めるのが相当であると解される。

ところで、本件の場合、前述の如く債務者等の主張は、いずれも遺言の復活の主張に帰着し、それは亡千代二郎が生前寄附行為によつて目的を達しえないときは、遺言寄附行為によつて財団の設立をはかる意思であつた、あるいは生前寄附行為による財団設立を取り止め遺言寄附行為によつて財団設立する意思であつたということをその主張の中核としている。それゆえ、以下問題の中心点である亡千代二郎の意思について、判断してゆくことにする。

先ず、亡千代二郎が財団を設立して育英事業を行おうと思い立つた動機について考えてみるに、同人が国家のため有為の人材の育成に寄与したいと考えていたことは当事者間に争いないところであり、またそれと同時に同人の創立した債務者会社の健全な隆昌を望み、そのため自己の持株を育英財団に出捐することによつてその固定不動化を考えていたことは、成立に争いのない乙第一号証の一によつて疎明されるところであるが、その他に債務者等主張の如く、亡千代二郎がその子供等ことに債権者清水清明を債務者会社の経営から排除しようとする意図があつたであろうか。この点に関し、前顕乙第一号証の一及び原本の存在と成立に争いのない甲第二号証によれば、育英財団の設立趣意として「子供たちにもそれぞれ相当の教育もし、財産も残してあるので、外に何も望むところはない」旨の記載があつて、これだけからすると子供等にこれ以上財産を与える気持も、また債務者会社の経営にたずさわらせる気持もなかつたように窺われないでもない。しかし、他方、右乙第一号証の一によれば、遺言寄附行為に基づく財団の理事として亡千代二郎の長男である申請外清水英一を定めていること、右甲第二号証によれば、生前寄附行為に基づく財団の理事として債権者清水清明を定めていることがそれぞれ一応認められるのであつて、前記設立趣旨の記載をもつて直ちに亡千代二郎が子供等を債務者会社の経営から排除する考えであつたとの疎明資料とはなし難い。また成立に争いのない乙第一〇、第一一号証並びに証人上田九一の証言及び債権者清水清明尋問結果によれば、債権者清水清明が昭和二九年頃債務者会社の増資にあたつてその持株を他へ売り払い、亡千代二郎の怒を招いたこと及び右清明が昭和三〇年一一月二九日の株主総会において取締役に選任されなかつたことが一応認められるのであるが、しかし成立に争いのない甲第四四、第四五号証及び右乙第一一号証並びに証人上田九一の証言によれば、その後債務者会社取締役会において債務者会社と債権者清水清明の経営する申請外日本新綿花株式会社との提携、右申請外会社への資金の貸付け及び右申請外会社の借入債務に対し連帯保証契約をすることがいずれも承認可決されていること及び昭和三一年五月二九日の株主総会において債権者清水清明が再び債務者会社の取締役に選任され現在にいたるまで在任していることを一応認めうるのであつて、これらの事実を併せ考えると、亡千代二郎が債務者会社創業以来ともに右会社の経営にあたつてきたわが子の清明に対する信頼と愛情を失つて債務者会社の経営から排除しようとする意思をもつにいたつたとは考えられないことである。なお債務者等は債権者清水清明が取締役でありながら社務を顧みず行方不明になることがあつた旨を主張するが、右主張にそう成立に争いのない乙第三二号証の供述記載は、措信し難く、他に右事実を認めるに足る証拠はない。その他債務者等の主張にそう証拠としては、証人上田九一、同辻井正之、同紅林武衛の各証言及び債務者等代表者尋問結果があるが、それらをたやすく措信することはできない。むしろ前記の如き一応認定された事実によれば債務者等の主張とは異なり、亡千代二郎としては、自己の後継者と考えている債権者清水清明が持株を売り払つた事実があり、将来もその危険がみられないわけでもないので、債務者会社の安泰と右清明の後継者としての地位の安定のため自己の持株を固定不動のものとしておこうという意思もあつて育英財団の設立を思いたつたとも考えられないわけではない。それに前顕乙第一号証の一及び甲第二号証中の前記記載文言も、成立に争いのない乙第一号証の二のうちの遺留分減殺請求を許さない旨の記載と併せ考えれば、自己の持株を遺産とは別個に固定不動のものとする意図によるものだとも考えられるのであつて、この点からしても必ずしもそれが子供等ことに債権者清水清明を債務者会社の経営から排除する意図を示すものとは解しえないのである。したがつて以上考えたところによれば、亡千代二郎の育英財団設立の動機に債権者清水清明を債務者会社の経営から排除することによつて債務者会社の経営の安泰をはかる意図が含まれていたことを肯認することはできない。

次に亡千代二郎が一旦遺言寄附行為をした後、生前行為としての寄附行為をするにいたつた動機について考えてみるに、それが申請外伊藤忠兵衛の勧めに基づくものであることは当事者間に争いないところであり、なお、その出捐財産を遺言による出捐財産である前記株式三〇四、七六五株のうち二〇万株に減じたことも当事者間に争いない事実であつて、証人辻井正之の証言によれば、右のように出捐財産を減じた理由としては、千代二郎において自己の収入等の安全をはかるために持株の一部を留保したものであると一応認めることができる。ところで、債務者等は、亡千代二郎が、前記申請外伊藤忠兵衛の勧めがあつたため、不本意ながら生前に財団を設立しようと寄附行為をしたもので、千代二郎には右財団設立の熱意がなかつた旨を主張し、証人上田九一の証言及び債務者等代表者尋問の結果中には、右主張にそう供述がみうけられる。けれども前記のとおり、千代二郎が生前寄附行為において出捐財産を減じ自己の安全をはかる措置をとつていることならびに前顕甲第二号証、同乙第一号証の一、二及び証人西田亀久夫、同辻井正之の各証言によれば、亡千代二郎が文部省に対し生前寄附行為に基づく財団設立許可申請をした後に、その設立趣意書の文言の訂正、育英会の名称の変更、運用財産の設定、理事の構成の変更等の点について文部省によるいわゆる行政指導がなされ、亡千代二郎はそれぞれ右指導に応じた措置をとつた事実が一応認められるのであつて、右事実及び弁論の全趣旨を併せ考えると亡千代二郎は、その熱意の程度はともかくとして生前寄附行為による財団設立の意欲をもつていたからこそ右のような措置をとつたのであつて、それはひつきよう亡千代二郎が、せつかく育英事業を行うのならば死後よりも生前に始めるのがよいとの申請外伊藤忠兵衛の勧めに心を動かされた結果、その趣旨にそつて生前寄附行為をなしたからにほかならないものと推認せざるをえない。前掲証人上田九一の証言及び債務者等代表者尋問結果中の右認定に反する供述は措信できず、他に債務者等主張事実を疎明するに足る資料はない。

更に昭和三三年三月下旬文部省から亡千代二郎宛に三桝育英会設立許可申請の申請書類が返戻され、亡千代二郎が生前寄附行為による財団設立の意思を捨て遺言による財団設立の意思をもつにいたつたかどうかについて考えてみるに、前述した如く、亡千代二郎に債権者清水清明を債務者会社の経営から排除する意図があるとは認められないのであり、また生前寄附行為では、自己に一定の株式を残存させる措置をとつてあるのだから、とくに亡千代二郎が遺言寄附行為に固執する理由は認められない。それのみならず、前述の如く、亡千代二郎は生前寄附行為による財団設立の手続を進めつつあつたのであり、文部省から更に運用財産三〇万円の増額及び債務者会社役員による兼職理事の減員という事由で申請書類が返戻されてきたからといつて、右返戻事由自体亡千代二郎の債務者会社における地位及び資産からみて生前寄附行為による財団設立をとりやめるほどの重要な問題とは思われないし、これによつて亡千代二郎が直ちに生前寄附行為による財団設立の意思を放棄したとは考えられない。もつとも右返戻後、翌四月二二日亡千代二郎が急死するまで、右返戻に関して何らの措置あるいは手続もとられていないことは弁論の全趣旨から明らかであるが、しかし右返戻後亡千代二郎の急死までの期間は、同人が文部省へ財団設立の許可を申請してから右返戻までの一年余の期間からみれば、極めて短い期間であり、しかも証人西田亀久夫の証言によつて一応認められるように、それまでの文部省との連絡回数も少かつたことを併せ考えると、右のように何らの措置あるいは手続がとられていないことだけをもつて、亡千代二郎が生前寄附行為による財団設立の意思を放棄したものと考えるわけにはゆかない。かえつて、それまでの文部省との交渉経緯から考えると、亡千代二郎には遺言寄附行為によつては運用財産の不存在、理事構成の不適当な点においてその財団設立が極めて困難であることを推測できたと思われるのであつて、もし亡千代二郎が生前寄附行為による財団設立をとりやめ、遺言寄附行為によつて財団を設立しようとの意思に変つたのであれば、むしろそのために何らかの別途の措置を講じたものと考えられる。それも同人の急死までの期間が短かかつたがためになされなかつたとするならば、もつと期間があればそうしたであろうと推測しうるだけのものがなければならないが、右の点に関する証人辻井正之、同上田九一の各証言及び債務者等代表者尋問結果はいずれも直ちに措信することはできず、他に右事実を一応裏付けるに足る証拠は見当らないのである。また、仮りに文部省からの右返戻によつて亡千代二郎が生前寄附行為による財団設立の意思を放棄したとしても、そのことが直ちに遺言寄附行為による財団設立の意思に変ることを意味するものとは速断できない。亡千代二郎は、あるいはその他の方法による財団設立を意図したのかもしれないのである。また証人上田九一及び同中沢専一の各証言によれば、右返戻後亡千代二郎が信託に基づいて育英事業を行うことも考えたことを一応認めることができるのであるが、しかしそのことから直ちに遺言寄附行為による財団設立の意思を推認することはできない。かえつて、亡千代二郎としては、遺言寄附行為では財団設立が困難なことが判つていたので、右の如き信託による方法を考えようとしたとも解せられないわけではない。なお証人上田九一は亡千代二郎が信託による財団設立を考えた原因が、本件株式を含む三〇四、七六五株を相続人等に帰属させないことにあつた旨の供述をしているが、右証言は直ちに措信することができない。その他亡千代二郎が右信託の考えを捨て遺言による意思をもつたこと及びその原因が、信託では前記株式が相続人等に帰属することになるからそれを避けるためであつたことを認めうべき疎明がない。

以上のように考えてくると、亡千代二郎が文部省からの生前寄附行為による財団設立許可申請の申請書類の返戻後、生前寄附行為による財団設立の意思を放棄し、以後は遺言寄附行為によつて財団を設立しようとの意思をもつたとは認められないのみならず、生前寄附行為による財団設立が目的を達しえないときは遺言寄附行為によつて財団の設立をはかる意思であつたとも認めることができない。したがつて右の主張を中核とする債務者等の遺言の復活の主張は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないことに帰する。

そうとすれば、前述の事実からして、亡千代二郎は本件株式一〇四、七六五株についてもいずれ育英財団に帰属させるところにその本意があつたと認められるものの、そのために何らの措置もとられていない以上(相続人が将来亡千代二郎の本意を尊重して設立育英財団に右株式を寄附することが望ましいことは別に)右株式は、現在亡千代二郎の相続人である債権者等及び申請外清水英一の所有に帰属するものといわざるをえない。

第四、仮処分の必要性について

一、債務者等が本件株式を遺言寄附行為に基づき債務者財団に帰属するものとし、亡千代二郎の相続人である債権者等及び申請外清水英一の管理処分権を争い、本件株式の株券の債権者等への引渡及び債権者等への株主名義の書換を拒んでいること、本件株式の株主名義が昭和三三年九月三〇日附で債務者財団設立準備委員長広瀬英利名義に書き換えられ、以後右名義で本件株式の株主権が行使されてきたこと及び津地方裁判所昭和三四年(ヨ)第一三号仮処分判決執行の際、亡千代二郎の所有であつた本件株式を含む前記株式三〇四、七六五株の株券が債務者会社本社金庫に存在せず、右仮処分命令の執行ができなかつたことがあつたことは当事者間に争いがない。成立に争いのない甲第五号証及び証人清水英一の証言によれば、本件株式の株主名義を前記債務者財団設立準備委員長名義に書き換えるについて遺言執行者であるとともに債務者財団の理事に指定されていた申請外清水英一の了解を得ていないことが一応認められる。右認定に反する債務者等代表者尋問結果は措信できない。また証人辻井正之の証言、債権者清水清明及び債務者等代表者各尋問結果によれば、亡千代二郎は生前本件株式をはじめ同人所有の有価証券その他を債務者会社本社金庫に保管しているのを常としていたが、同人の死後債務者等によつて本件株式を含む前記株式三〇四、七六五株の株券が債務者会社の東京事務所である債務者等代表者広瀬英利の自宅に移し変えられたため前記仮処分命令の執行が債務者会社本社においてできなかつたことが一応認められる。しかも右株券を移し変えるについては、本件株式に対する債権者等の引渡請求を難しくしようとの意図以外に合理的な理由を見出し難い。

ところで前述の如く、本件株式は債権者等及び申請外清水英一に帰属し、債務者等において債権者等に対しその引渡義務を免れないところ、以上の事実から考えれば、本件株式について、債務者等の占有を解き、執行吏に保管を命ずる(執行吏は東海銀行金庫にその保管を託することができる)旨の仮処分申請及び債務者財団による処分禁止の仮処分申請は、いずれも執行保全の必要性があるものと認められる。

二、次に債務者会社第二四期定時株主総会において役員賞与金を一五〇万円から二五〇万円に増額する案が提出されて可決されたこと、それと同時に右株主総会に役員報酬の枠を一月六〇万円以内を一二〇万円以内と増額する案が取締役会の議を経て提出されようとしたこと、しかし右増額案は提出されずに撤回されたこと及び債務者会社は、同社の申請外日本新棉花株式会社に対する債権ありとし、それを破産債権に等しいものと考えているのに利益金として資産に計上し処理していることは当事者間に争いなく。右第二四期株主総会において株主配当金については従来どおりとする案が提出され可決されていることは債務者等の明らかに争わないところで、その自白があつたものとみなす。ところで債務者会社代表者である広瀬英利は、債務者財団の代表者を兼ねていて、前述の如く、これまで本件株式についての株主権を債務者財団代表者名義で行使してきたのであつて、右株主権行使を債務者会社の経営がいかなる内容であろうとそれを是認する手段に役立てることができるわけである。他方、前述の如く、債権者等は、申請外清水英一とともに、本件株式、すなわち債務者会社株式一〇四、七六五株という多数の株式を所有する者として、債務者会社の経営について重大な利害関係を有するものである。したがつて債権者等は、債務者財団の株主権行使が悪用された場合には、著しい損害を蒙むるおそれがあるものといわねばならない。ところで、たとえ債務者会社が以前にました業績をあげているにせよ、前述の如く、株主配当については従来どおりとしながら役員賞与については相当大幅に増額する案を前記株主総会に提出したこと、また役員報酬の枠を倍額に増加する案を右株主総会に提出しようとしたことは、債務者会社の経営の一部において堅実性を欠くものがあることを窺わせるに足る。それゆえ前述の如き債権者等の利害関係を考えた場合、債務者会社の代表者である広瀬英利をその代表者とする債務者財団による本件株式の株主権の行使を禁止する仮処分命令の必要あるものと認められる。しかしながら、前述の如き、債務者会社の経営事情からでは、現在債務者会社においてとくに危険な経営がなされているとは認められず、債務者財団による本件株式の株主権行使を仮りに禁止した以上、債権者等が本件株式について株主権を行使できなければ、著しい損害を蒙むるものとは考えられない。また債務者会社第二三期定時株主総会において債権者清水清明の本件仮処分命令に基づく本件株式の議決権行使が右株主総会議長広瀬英利によつて認められなかつたこと及び申請外浜口雄の株主名義書換請求が拒まれたことがあつたことは当事者間に争いなく、また債務者会社が同会社の取締役である債権者清水清明の会社書類等の閲覧を拒んだことがあることは当庁昭和三六年(ヨ)第三三号仮処分事件により当裁判所に明らかであるが、右の如き債務者会社の態度からだけでは債権者等が本件株式についての株主権を行使できなければ著しい損害を蒙むるものとは解されない。債務者会社の取締役である債権者清水清明を招集せず取締役会決議をしたこと、第二〇期定時株主総会を取締役会の決議なく招集したこと及び債権者清水清明の株主名義書換請求を拒んだ事実についてはいずれも疎明がない。その他には、債権者等が本件株式の株主権を行使できなければ著しい損害を蒙むる如き債務者会社の違法な行為あるいは危険な経営について疎明はなく、しかもこの点につき保証をもつて右疎明に代えしめることも適当でない。したがつて債権者等に本件株式の株主権の行使を仮りに許容するとの仮処分申請は必要性の疎明なきことに帰する。

三、なお債務者会社が千代二郎死後の本件株式についての配当金を債権者等に支払わずに保管していることは当事者間に争いなく、また証人米倉貢、同溝口孝の各証言及び債権者清水清明尋問結果によれば本件株式に対する相続税の課税通知があり、債権者等によつて納税されている事実を一応認めることができるが、右配当金が今直ちに支払われなければ債権者等が回復し難い著しい損害を蒙むる事実を認めるに足る疎明はない。したがつて配当金の支払を求める仮処分申請は、必要性の疎明なきことに帰する。

また債権者等以外の者による本件株式の株主権行使禁止の仮処分申請も債務者財団による株主権行使を仮りに禁止した以上その必要性あるものとは認められない。

第五結論

以上の如くであるから本件仮処分決定中、第一、第二、第三及び第五項についてはその仮処分申請が理由あるものと認められるので、これを認可し、本件仮処分決定中第四項のうち債権者等及び申請外清水英一の共有株主権を確認した部分についてはその仮処分申請が債権者等に当事者適格が欠け不適法であり、債権者等の株主権行使を許容した部分については、その仮処分申請の必要性につき疎明なきことに帰するのでこれを取り消し、右仮処分申請を却下し、追加申請された仮処分申請はいずれも仮処分の必要性につき疎明なきことに帰するのでこれを却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条本文、仮執行の宣言について同法第一九六条第一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 村上久治 新関雅夫 三宅陽)

物件目録

三桝紡績株式会社株式 一〇四、七六五株

但し名義人昭和三三年四月二二日当時清水千代二郎、同年九月三〇日附で財団法人清水育英会設立準備委員長広瀬英利に書き換えられたもの

(内訳)

一株券  Bへ 自第四一号至第四五号

一〇株券 Aい 第一六号

五〇株券 Aろ 第二六号

百株券  Aは 第ェ八号第一〇三号

五百株券 Aほ 自第一号 至第二〇〇号・自第三〇一号 至第三〇九号

第一、遺言による寄附行為

(一) 目的 寄附行為者清水千代二郎は、寄附行為の財産を基金として財団法人清水育英会を設立し、教育に関する寄附を為す事を以て目的とする。

(二) 名称 財団法人清水育英会と称す。

(三) 事務所 三重県度会郡玉城町佐田六二六番地 三桝紡績株式会社内に置く。

(四) 資産に関する規定 寄附行為者の所有する三桝紡績株式会社株式額面五〇円全額払込済のもの三〇四、七六五株を基本資産としこの財産から生ずる株式配当金を以て寄附行為の目的達成に使用するものとする。

(五) 存続期間は予め定めないが、寄附行為者から寄附行為を受けた原始寄附財産は、事情の如何を問わず、之を処分することを得ないものとする。

(六) 理事及び監事の任免に関する規定

(1)  理事は左の三名とする。

三桝紡績株式会社代表取締役 一名

同 取締役 一名

清水千代二郎の相続人にして清水千代二郎の系譜祭具墳墓の所有を

承継し、祖先の祭祀を主宰するもの(清水英一、其死後は承継人) 一名

(2)  監事は左の二名とする。

三桝紡績株式会社監査役 一名

橋爪きん但し橋爪きんの没後は清水家より選出する。

第二、生前行為による寄附行為

(一) 目的 学術優秀、品行方正でかつ身体強健でありながら、経済的理由により上級学校に進学が困難な者に対して育英奨学を行い、修学を助け、もつて社会に有為な人材を育成することを目的とする。

(二) 名称 財団法人三桝育英会と称す。

(三) 事務所 三重県度会郡玉城町佐田六二六番地 三桝紡績株式会社内に置く。

(四) 資産に関する規定

(1) (イ) 寄附行為者清水千代二郎の所有する三桝紡績株式会社株式額面五〇円全額払込のもの二〇万株及び現金二〇万円

(ロ) 資産から生じる果実

(ハ) 事業に伴う収入

(ニ) 寄附金品

(ホ) その他の収入

(2)  資産を基本財産と運用財産の二種とし

(イ) 基本財産は、右三桝紡績株式会社株式二〇万株及び将来基本財産に編入される資産で構成し

(ロ) 運用財産は基本財産以外の資産とし

(ハ) 寄附金品で寄附者の指定のあるものはその指定に従う

(3)  基本財産のうち現金は理事会の議決によつて確実な有価証券を購入するか、又は定期郵便貯金とし、若しくは確実な信託銀行に信託するか、あるいは定期預金として理事長が保管する。

(4)  基本財産は消費し、又は担保に供してはならない。但しこの法人の事業遂行上やむを得ない理由があるときは、理事会の議決を経、且つ文部大臣の承認を受けてその一部に限り処分し、又は担保に供することができる。

(5)  この法人の事業遂行に要する費用は、資産から生ずる果実及び事業に伴う収入等運用財産をもつて支弁する。

(五) 理事及び監事の任免に関する規定

(1)  理事は五名以上八名以内(うち理事長一名)監事は二名または三名

(2)  理事及び監事は評議員会でこれを選任し、理事は互選で理事長一名を定める。

(3)  評議員一〇名以上一五名以内を置き、評議員は理事会でこれを選出し、理事長がこれを任命する。

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